生きる上での考え方編

変わりきれない日本社会の現実

戦後の日本は、復興するために「ものづくり」を主とした経済発展のために社会が築き上げられた。

それはそうだろう。

まず、経済活動といえば、モノをつくって売ることが基本となる。

その前の軍国主義だったことも大きい。

個人は全体のなかで、足並みを揃えて動かなくてはいけない個々のパーツとして動くことが求められた。

そうして、みんなが、ものづくりで個々の役割を全うすることが仕事をすることであり、生きることとなった。

おかげで日本は「ものづくりの日本」として高度成長期を右肩上がりで登って行った。

しかし、悲しいかな。

それはずっと続くわけもなくバブルは弾けた。

もう30年以上前のことだ。

わたしは、バブルが弾けたあとの経済のなかで働いてきた。

毎日、サービス残業。

でもそれを不思議とも思わなかった。

上司は、絶対権力者。どんな理不尽な言葉を吐きかけられようが服従するのが当たり前だった。

また、その上司も社長から殴られるときは、殴りやすいように左頬を殴りやすいように顔を傾けた。

日本という国、会社という組織。

それがなによりも優先された世界。

それは少し行き過ぎた場所だったのかもしれない。

でも、それは当たり前の一部だった。

時は流れ、時代は変わっている。

その昔よりは、少しはマシになっているかもしれない。

それでも、この国の姿勢は変わらない。

個人の犠牲のもとに成り立っている社会。

でも、日本の指導者的人たちにはどうにもできない。

そんな能力なんてないから。

国会まで車で送迎される政治家に、満員電車の解消はできない。

そもそも自分は困らない。だから彼らは本気では取り組まない。

もちろん、その下で仕事している人たちは寝ているわけでもないので、色々な問題に取り組む。

でも、しょせん他人事なのだ。

今でも、小学校や中学校では、「右向け右、まわれ左!」

校長の眠たくなる催眠術のような話しを朝っぱらから聞かされる。

よく、貧血で倒れる奴がいたな。

運動会では、相変わらず組体操。

全然わかっていない。

その教育、組織の駒を生産続ける教育。

いつまでそんなことしているのか?

学ランにセーラー服。

個人が自分の人生をつくっていける社会。

それは甘い世界ではない。

でも、組織の中に紛れて生きていく人生なんてクソだ。

やりたいことがそこでしかできないなら別だが、生きていくためだけにしている仕事なんて、どれだけ人間社会が発展しようとくだらない社会だ。

もう、個人が自分の人生をしっかり生ききる世の中になってほしい。

自分で選択して自分を大切にする生き方を選んだ方がいい。

自由、自由って、全然、自由ではないんだよ!

妥協の上に成り立っている人生なんてつまらない人生だ。

あなたがあなたとして生きられるのは、今世しかない。

無駄にするな。

言い訳をするな。

「世の中、そんなに甘くない」

「生きるためには仕方ない」

すべては言い訳でしかない。

誤魔化しだ。

人間いつかは死ぬ。

だけど、生きていたって死んでいるのと同じようなものなら、あなたはもう死んでいる。

日本社会が、

日本の学校が、

新しい次元に昇華していくのを望んでいる。

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