日本は戦後、必死にがんばって高度成長をした。
その経済活動において、自分を出さず、組織としてその事業が伸びるように、個々は歯車のように働くことが求められた。ただひたすら、会社が望むその人の役割を果たすことが大事とされた。
そして、組織の歯車として働く人間を教育するのが日本の教育となった。
でも、その歯車は心を持つ、その人自体が有意義で自分で自分を納得させられる生き方をしていいはずの人間だ。
皆がそうだから、そんなことも考えることなく当たり前のこととして、エコノミックアニマルと呼ばれても頑張ってきた。
私らの親の時代の話しだ。
でもそれは今でも現存している。
ブラック企業というが、そんなことは昔は当たり前だった。
そんな昔の話しではない。
でも、時代は変わった。
日本社会も変わった。
一生、面倒見るから、その代わり会社に忠誠をささげよ!なんて時代ではない。
そもそも、企業にそんな体力はない。
面倒は見ないから、副業していいよ!という時代になった。
本来、これが当たり前の時代なのだ。
組織のなかにいれば、安心なんて時代がおかしい世の中だっただけ。
これからは自由な世の中になっていく。それだけ、大変で自己責任の社会となる。
ある人にはピンチであり、ある人にはチャンスの時代だ。
個人で稼ぐことができるようになった。インターネットの普及により完全に新しい時代が始った。これは、人間が言葉を身に付けたり、火を使うようになったりした大きな出来事と同じレベルの人類のステップアップだ。
日本の窮屈な社会に押し込められることなく、もっと自由に!
もっと自分自身の意志で生きられるように日本という国も変わっていかなければならない。実際にその方向に向かっている。
すべてに終わりがある。
太陽にも、地球にも、日本にも。日本という国は悠久の時間のなかでいずれユーラシア大陸の下に沈んでいくらしい。その頃には地球上に人間は存在していないだろう未来のこと。
でも魂は死なない。環境さえ整えばまた生命として現れる。
長年、土の中にいたセミの幼虫は、外の世界にでて思いっきり生きている証を残そうとするかのように鳴く。
我々、人間も同じだ。永遠の時の流れのなかで、一瞬、芽生える時がきて、精一杯、鳴いて生きて、そして死ぬ。
思いっきり鳴くぐらいのことは自分にさせてあげようよ!
私たちは確かに存在しているが、無限の世界では一瞬のことかもしれない。
だけど、自分という人間が存在して、今の時代に生きている。
その証を思いっきり生きて残してやりたい。だってせっかく生まれてきたのだから。